子どもの言葉を信じてはいけない理由

子どもの言葉を信じてはいけない。

なぜか?

それは・・・・

子どもであるがゆえに

自分の気持ちを正確に表現できているとは限らないからです。

 

 

 

子どもが自分の気持ちを正確に表現できない理由はいくつか挙げられます。

・まだ言葉をよく知らないから

・自分で自分の気持ちが分からないから

・親の機嫌を損ねたくないから

・雰囲気にのみ込まれてしまって相手に合わせたから

時々、

「うちは子どもの自主性を尊重しています」

「うちは子どもに任せています」

と言う親御さんを見かけます。

これは…

子どもに丸投げってことになりませんかね? 

 

 

私はこの言葉を誇らしげに言う人に会った時、

放任という名の、ネグレクトを疑います。

放任は楽ですからね。

自主性を尊重するという名のもとに

子どもに干渉しない(考えなくていい)。

子どもが自分で決めるのにまかせる。

つまり子どもに一人で考えさせているということです。

子どもが自分で決めた結論だけ聞き、親は「ハイハイ」とお金だけ出す。

結論が出るまでのプロセスを伴走しない親。

楽です。 

 

 

子どもが成人してからどんどん疎遠になって、

「あんなにしてやったのに!」と怒る親がいます。

でも親は何をしたのでしょう?

子どもからすれば、

いちばん助けが必要な時に助けてくれなかった。

苦しい時に一緒にいてくれなかった。寄り添ってくれなかった。

「どうしたの?」と聞いてくれなかった、ということがあります。

つまり、親子の絆が育まれていないのです。 

勘違いしている方が多いのですが、

親子の絆は血縁と無条件でセット!ではありませんから。

絆は時間と手間をかけて育むものです。 

 

 

 

親は

「何で言ってくれなかったの?」

「言ってくれればよかったのに!」と思ってはいけません。

子どもは、いつも明確に自分の気持ちを表現できるとは限らないのです。

まだ未成熟な子どもだから。

子どもの気持ちを精一杯想像して、くみ取ってあげないといけません。

それに、「助けて!」と言うことはとても勇気がいることです。

国語力が発展途上の子どもは

理路整然と自分の気持ちを述べられないのです。

まだ見守るべき子どもに、会社の同僚のように、それを求めてはいけないのです。

なぜなら、まだ見守られるべき子どもなのですから。 

 

 

 

丸投げは、小学生、中学生にはまだ早い。

まだ干渉しないといけない。

煩わしく思われても見守らないといけない。

言葉だけをうのみしてはいけない。

子どもの言葉を信じてはいけない。

では、親は何をするべきか? 

 

 

子どもの言葉も聞きつつ(疑いつつ)、

様子を観察するべきです。

言っていることと本心が真逆、なんてことは珍しいことではないのです。

子どもの言葉はそのまま信じてはいけません。

疑ってください。

そして

見守ってください。

いつでも助ける用意をしておいてください。

ママ友達の気持ちよりも

子どもの気持ちを汲み取ることに力を注いでください。

子どもの人生に、伴走してください。

おわり